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紹介選手の名前一覧です。(リンク)

2008年4月更新

坪井智哉松坂大輔副島孔太都築克幸平野恵一河田雄祐河内貴哉玉山健太辻俊哉福本誠遠藤政隆高木大成千葉英貴古屋剛中野渡進小野公誠岩隈久志萩原淳井口資仁斉藤秀光高橋光信斉藤宜之森野将彦

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坪井智哉 外野手
●1998年 江戸川東チーム卒団
●左投左打
●PL学園高校→青山学院大学→東芝→阪神→日本ハム
●1997年阪神ドラフト1位
★北海道日本ハムファイターズ

僕はプロ野球選手になりますと言って、本当にプロの 選手になってしまったひとりです。 「バットスイング」をしない時にはご飯を食べないと強い意志を持っていたことが今も忘れられません。
(本人談) 次の選手

松坂大輔 投手
●1994年 江戸川南チーム卒団
●右投右打
●横浜高→西武
●1998年西武ドラフト1位
★ボストンレッドソックス

中学1年でオールスターからシニアへ上がって来た時に野 球を辞めたいと言って1ヶ月休部したことがありましたが、 好きな野球・夢を持ち続けた野球を辞めない様に話して 復帰した事が今でも良かったと思います。
(本人談) 次の選手

副島孔太 外野手
●1988年 大田チーム卒団
●右投右打
●桐蔭学園→法大→ヤクルト→オリックス
●1996年ヤクルトドラフト5位
□2004年ヤクルト退団
□2006年ゴールデンゴールズ退団

第1回世界大会のメンバーに選出され、初戦の韓国との試合で代打で出場し、 神宮球場のライトスタンドにホームランを打った。 その後スタメンで活躍し、優勝に 貢献し、ベストナインにも選出された。 次の選手

都築克幸 外野手
●1998年 世田谷チーム卒団
●右投右打
●日大三高→中日
●2002年中日ドラフト7位
□2005年中日退団

シニアでは捕手で一番打者として活躍。 常にプラス志向で苦しい時も笑顔を絶やした事はない。 特に打撃センスは抜群で機に応じてのセーフティーバント、 バスターエバース等アイデアを自在に発揮。 核弾頭存在として光る。 次の選手

平野恵一 内野手
●1994年 目黒西チーム卒団
●右投左打
●桐蔭学園高→東海大→オリックス→阪神タイガース
●2002年オリックスドラフト自由枠
★阪神タイガース

当時は選手が少なく全国大会出場は夢であった。 ただ最後の年に東京中日杯で優勝した事が唯一の印象に残る大会でした。 当時の監督二宮至氏(元巨人軍・現在中日コーチ)談、 「彼は球際に強い、稀に見る逸材」と評した。 次の選手

河田雄祐 外野手
●1982年 杉並チーム卒団
●右投左打
●帝京高→広島→西武
●1985年広島ドラフト3位
□2002年西武退団

私は杉並リーグで良い指導者に出会い、 野球の楽しさ、苦しさを学びました。 やはり原点はここであり、私に17年間と云うプロ野球生活ができたのだと思います。 今後の益々の発展を願っております。
(本人談) 次の選手

河内貴哉 投手
●1996年 杉並チーム卒団
●左投左打
●国学院久我山高→広島
●1999年広島ドラフト1位
★広島東洋カープ

3年生で全国大会に依いて、チームは第3位に終わったが、 私自身は投球した24イニングを全て無失点で最優秀投手に選ばれた事。 G.C杯の決勝戦を東京ドームで行い、 残念ながら準優勝に終わった事が思い出に残ってます。
(本人談) 次の選手

玉山健太 投手
●1997年 甲府南チーム卒団
●右投左打
●山梨学院大付高→広島
●2000年広島ドラフト3位
□2006年広島退団

シニア時代はこれといって目立った選手ではありませんでした。 投手としてただ努力だけは人一倍しておりました。 グランドの周りが1周1Kですがよく走っておりました。 最高40週走った時もありました。 次の選手

辻俊哉 捕手
●1995年 甲府南チーム卒団
●右投右打
●甲府工→国士舘大→千葉ロッテ
●2001年千葉ロッテドラフト5位
★オリックスバファローズ

グランドに入る時はきれいなユニフォームでも帰る時は上から下までまっ黒でした。 その位動き回ったという事だと思います。 とにかく、努力し仲間からも信頼され明るい選手でした。 次の選手

福本誠 内野手
●1992年 東京日野チーム卒団
●右投右打
●法政二高→法政大→横浜
●1998年横浜ドラフト4位
□2006年横浜退団

入団時の印象は身体の小さい子だなと思った。 しかし野球に対する姿勢、情熱、練習量はすごいものがあった。 試合を見ていた元プロ野球選手が 「この子は素晴らしい選手に成長するな」と言ったのが忘れられない 次の選手

遠藤政隆 投手
●1987年 八王子チーム卒団
●右投右打
●日大明誠高→熊谷組→中日
●1993年中日ドラフト4位
★東京ヤクルトスワローズ

リトル時代は『泣き虫』だったようだけど、 シニアでは毎回自宅から1時間かけて自転車で通うほど、 ガッツがあふれていました。 帽子を忘れて帰る途中スポーツ店で買うという要領の良さもある選手でした。 次の選手

高木大成 内野手
●1988年 八王子チーム卒団
●右投左打
●桐蔭学園高→西武
●1995年西武ドラフト1位
□2005年西武退団

攻守そろった選手で、足はそんなに速くなかったけれど、 盗塁もよく決めていた印象があります。 いわゆるエリート的な選手で、野球も学業も成績が良く、 後輩たちもこういう点は見習ってほしいと思う選手でした。 次の選手

千葉英貴 投手
●1998年 八王子チーム卒団
●右投右打
●日大三高→横浜
●2001年横浜ドラフト6位
□2005年横浜退団

入団した当時から大柄な選手でしたが、 毎年順調に成長し、卒団時は見上げていました。 何事にも動じないというか、物おじしない彼の性格は、 プロ野球の世界で活躍するためにも必ず大きな原動力になることでしょう。 次の選手

古屋剛 内野手
●1985年 立川チーム卒団
●右投右打
●駿台甲府高→拓殖大→新日鉄君津→西武
●1996年西武ドラフト7位
□2004年西武退団

中学2年生の時多い部員の中からレギュラーで全国大会に出場。 準決勝で調布シニアと延長戦で2対1で敗けた時の事を今でも思い出します 熱かった夏の4連戦でした。
(本人談) 次の選手

中野渡進 投手
●1991年 羽村チーム卒団
●右投右打
●東海大菅生高校→三菱自動車川崎→横浜
●2000年年横浜ドラフト7位
□2003年横浜退団

中野渡選手は、中学2年生の頃から、1週間に1cm身長が伸びる勢いの成長期でした。 その為、足・腰が痛くて思う様な練習が出来ない時もありました。 しかし、根っからの頑張り屋で、 マウンドから選手を見下ろす姿目の輝き闘志満々の勇姿は、 「全国大会出場まであと一勝」というところで涙した時代があったからこそと思います。 次の選手

小野公誠 捕手
●1989年 東大和チーム卒団
●右投右打
●聖望学園高→東北福祉大→ヤクルト
●1996年年ヤクルトドラフト4位
★東京ヤクルトスワローズ

小学生3年生で東大和リトルリーグに入部し投手と内野手として活躍し、 中学生からは東大和リトルシニアに入部し捕手として鍛えられ2年生から正捕手に抜擢され、 「打てる捕手」として他のリーグから注目された選手でした。 次の選手

岩隈久志 投手
●1996年 東大和チーム卒団
●右投右打
●堀越高→大阪近鉄→東北楽天
●1999年大阪近鉄ドラフト5位
★東北楽天ゴールデンイーグルス

小学生1年生の時、東大和リトルリーグに入部し本当に野球好きな子供でした。 中学生で東大和リトルシニアに入部し厳しく鍛えられ、 ストレートを武器に将来楽しみな大型選手として注目された選手でした。 次の選手

萩原淳 投手
●1988年 保谷チーム卒団
●右投右打
●東海大甲府高→オリックス→北海道日本ハムファイターズ→東京ヤクルトスワローズ
●1991年オリックスドラフト2位
★東京ヤクルトスワローズ

保谷リトルとシニアを支え、どのポジションもこなすユティリティープレーヤー。 温厚ながら芯は強く、チームの信頼は絶大でした。 次の選手

井口資仁 内野手
(旧名:井口忠仁)
●1989年 保谷チーム卒団
●右投右打
●國學院久我山高→青学大→福岡ダイエー→シカゴ・ホワイトソックス→フィラデルフィア・フィリーズ→サンディエゴ・パドレス
●1996年福岡ダイエードラフト1位
★サンディエゴ・パドレス

雨の日でも合羽を着てお母さんと共にランニングの自主トレをしていた姿が印象に残っている。 この努力と天性のばねがプラスされ走力と守備が特にすぐれていた。 将来期待の星となり得る華のある選手でした。 次の選手

斉藤秀光 内野手
●1990年 中本牧チーム卒団
●右投右打
●横浜商大高→オリックス→阪神→オリックス→東北楽天→福岡ソフトバンク→横浜ベイスターズ
●1993年オリックスドラフト3位
★横浜ベイスターズ

可愛らしい・優しそうな少年だったが、肩が抜群に強かった。 小学校時の投手より、ショートで鍛え方が良いと判断し指導した。 チーム内では怒られる回数が多く、 悔し涙を流したが高校では神奈川No.1のショートとして甲子園に出場。 次の選手

高橋光信 内野手
●1990年 中本牧チーム卒団
●右投右打
●横浜高→国際武道大→中日
●1997年中日ドラフト6位
★阪神タイガース

初の出会いで、「この子はプロには入れるのでは」と直感させられた。 温和な性格とやさしい笑顔には似合わない豪快な打撃で、 打球の速さも中学生離れしていた。 守備面でも、強肩の捕手で活躍。 先にプロ入りした斉藤秀光と同級生である。 次の選手

斉藤宜之 外野手
●1991年 中本牧チーム卒団
●右投左打
●横浜高→巨人→東京ヤクルトスワローズ
●1994年巨人ドラフト4位
★東京ヤクルトスワローズ

物静かな性格だが、内に秘めた強い心を持っている子で 野球が好きで練習は人一倍熱心だった。 2年からチームの主軸としてファースト・センターを守り、 バットコントロールも良く長打も打てた。走・攻・守の優れ、 世界大会にも参加した。 次の選手

森野将彦 内野手
●1993年 中本牧チーム卒団
●右投左打
●東海大相模高→中日
●1996年中日ドラフト4位
★中日ドラゴンズ

2年生の秋の新人戦からセカンドで出場。 打撃センスは抜群で右投げ左打ちで、3年生時はチーム貢献No.1。 落ち着いた雰囲気を持ち、性格は大らかな選手だった。 高校では甲子園へ出場し大活躍の中、見事プロの門が開けた。


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